わたしは基本的にとてもネガティブな人間なので、職場で誰かの機嫌が悪そうに見えると、すぐに「わたしが何かしたのかな」と考えてしまいます。
声の調子がいつもと違う、話しかけても返事がそっけない気がする。なんとなく自分だけ避けられているような気がする。
理由を聞いたわけでもないのに、思い当たることを探し始めます。昨日のあの言い方がよくなかったのかもしれない。何か仕事でミスがあったかもしれない。
まだ何もわかっていないのに、一人で落ち込んで、次の日の仕事まで行きづらくなる。
そんなわたしは最近、少しくらい「嫌われるおばさん」になる努力が必要なのかもしれないと思うようになりました。
他人の言動は「わたしのせい」?
職場に、最近わたしのことを避けているのかな、と感じる人がいます。
ほかの人とは普通に話しているのに、わたしにはあまり話しかけてくれないように感じる。グループでいる時も、なんとなく疎外感を感じる。
それだけです。本当に嫌われているのかはわかりません。たまたま話すことがなかったのかもしれないし、わたしが知らない別の理由があったのかもしれません。
もちろん、本人に確認したこともない。
でも、その場にいるときのわたしは「わたしが何かしたかな」と思うのです。
自分では気づかないうちに、嫌なことを言ったのかもしれない。失礼な態度を取ったのかもしれない。それとも、単純に合わないと思われているのかな、とか。
理由を聞いていないので、いくら一人で考えても答えは出ません。
それでも、「どうしてそんなことをするのだろう」と帰ってからもずーっと考えてしまうのです。
さらに「また明日も同じ雰囲気だったら居心地悪いな」「気使うの、疲れるな」「会いたくないなあ〜」「嫌だなあ〜」と、想像が膨らみどんどん憂鬱になる。
そうやって家でひとり、勝手に疲れているのです。
ちょっとした不機嫌も、気になる。
もう一人、わたしが反応を気にしてしまうのは上司です。
その上司は、朝出勤したときに機嫌が悪そうに見えることがあるんです。仕事の連絡ノートを確認しながらイライラしているように見えると、「わたしが書いた内容かな」「何かやり忘れたかな」と顔色を見て不安になります。
でも、しばらくするとその上司はいつもの様子に戻るのです。
朝は、その日にやることを整理するため、ちょっと神経質になっているのかもしれません。仕事が始まったばかりで余裕がなく、表情や話し方が少し硬くなっているだけ。
落ち着けばいつものキャラクターに戻ることを、わたしも知っています。
それなのに、不機嫌そうな姿を見るたび、必ず「わたしのせいかも」と考えてしまう。
その人が何にイライラしているのかは、本人にしかわからないし、そう見えるだけで特にイライラすらしていないかもしれません。
頭ではそうわかっているのに、相手の表情と自分の行動をすぐに繋げて、その上「自分のせいだ」と思い込んでしまうのです。
「自分のせいかも」という思考のクセ
事実は「相手の返事が短かった」だけ。
でもそこから、「怒っているのかもしれない」「原因はわたしかもしれない」「明日も冷たくされたらどうしよう」と自分の頭の中で、勝手に話を進めてしまいます。
返事が短かった。それだけなのに、家に帰るころには「嫌われているのかもしれない」というところまで考えて落ち込んでいる。
もちろん、本当に自分が何かしている可能性もあると思います。
仕事でミスをしたり、伝え方がよくなかったりしたなら、そこは言ってほしいし、直していきたい。自分に非があるとわかったら、きちんと謝りたいとも思う。
でも、相手の表情や声から勝手に気持ちを読み取り、まだ起きていないことまで想像して、自分を責める必要はありませんでした。
嫌な雰囲気を察知した相手には、なるべく近づかないようにすることもあります。また冷たい反応をされたくないので、用事がなければ話しかけないようにもしています。そのほうが、その場では傷つかずに済むから。
でも、避けているあいだも相手のことが気になってしまいます。相手に会う前から緊張して、どんどん仕事へ行くのが嫌になる。
わたしは昔からこの何かにつけて「じぶんのせいかも」と思うクセがあります。
職場だけでなく、学校・クラスや、同じ環境(たとえば通っているスクールなど)でも、他人の顔色をうかがっては、ちょっとでも嫌な雰囲気を感じると「わたしが何かしたのかな」「気にさわるようなことしたかな」と思ってしまうのです。
この性格や思考にずっと振り回されてきました。
同じことが起こるたびに、「また同じように考えているな」と思いつつも、何も改善のための努力はしてきませんでした。
でも、やっぱりそれでは生きにくい。
このなんでも「自分のせいかも?」と思う性格が、自分自身の生き方をしんどくしている部分かもしれないと思うようになりました。
「もう少し嫌われてもいいんじゃない?」
この件を家族に話したとき、「もう少し嫌われてもいいんじゃない?」と言われました。
そのときは「なかなか難しいことを言うな」と思いました。
だって、嫌われたくないから悩んでいるのに、「嫌われてもいい」と思えたら、そもそもこんなに困っていません。できないから、悩んでいるんだから。
でも、その意図は「いじわるな人になれ」でも、「嫌われることをし返せ」でもありませんでした。
「仲がいいことと、仕事をすることを分ける」という考え方でした。
職場の人と仲良くなれたら、それはそれで嬉しい。でも、全員と仲良くならなくても、必要な仕事はできる。誰かの機嫌が悪くても、その日に必要な業務が滞りなく行えれば、それで良い。
仕事は与えられた業務をするものであって、誰かの機嫌を取ったり、機嫌を損ねないように顔色を窺って振る舞うことが仕事ではありません。(もちろん、仕事をするために必要な最低限の気遣いは大事ですが。)
・嫌なことがあれば、「嫌だ」と伝える。
・相手にどう思われるかだけを優先して、自分の気持ちを殺さない。
わたしには、そこが足りないのだと気づきました。
みんなに好かれたいというより、誰かに嫌われることや、その場の空気を自分のせいで悪くするのが怖い。問題の中心にいたくない。
そのために、相手の表情や声をよく見て、嫌われていないことを確認しながら仕事をしている自分に気づくことができました。
「嫌われるおばさん」になりたい
「嫌われるおばさん」と書きましたが、もちろん誰かに嫌われるような振る舞いをしたいわけではありません。
周りに不機嫌を振りまいたり、人に冷たくしたりする人には絶対なりたくない。
わたしがなりたいのは、誰かの機嫌を自分の責任だと思わず、必要なときには自分の考えを伝えられる人です。
これから先ずっと、出会う人の顔色をうかがって生きるより、少しくらい図太く、自分の考えを大切にできる人になりたいなと思いました。
相手が不機嫌そうでも、理由がわからないうちは自分のせいだと決めて落ち込んだりしない。頭の中だけで反省会を始めず、仕事で確認が必要なことがあるなら、そのことだけを確認する。
仲良く話せない日があっても、仕事に必要なことはいつもどおりに伝えるし、それを自分のせいだと思い込まない。
本当に困ることが続くなら、相手にどう思われるかを気にせず、必要なことは伝える。
わたしにとっては、どれもとても難易度の高いことです。
だから、「少しくらい嫌われてもいい」と思って、行動に移すには努力が必要だし、今のわたしには必要な努力だと思っています。
相手に合わせて、わたしを変える必要はない
わたしが大好きな小説「十二国記」の中に、とても刺さったことばがあります。
楽俊というキャラクターが、主人公・陽子との再会に喜ぶシーンです。ただ陽子は以前に楽俊を見捨てて去っていたのです。「もう私なんかに構わなければいいのに」という陽子に対して、
「そんなのおいらの勝手だ。おいらは陽子に信じてもらいたかった。だから信じてもらえりゃ嬉しいし、信じてもらえなかったら寂しい。それはおいらの問題。おいらを信じるのも信じないのも陽子の勝手だ。おいらを信じて陽子は得をするかもしれねえし、損をするかもしれねえ。けどそれは陽子の問題だな」
小野不由美『十二国記 月の影 影の海 下巻』(新潮文庫、113ページ)
これが、いまのわたしの境遇にとてもよく似ていると思ったのです。
「相手がわたしをどう思うかは、相手の問題。でも「きっと自分が悪い」と決めつけて悩み続けるかどうかは、わたしの問題。」
そんなふうに解釈すると、
「ああ、相手の言動に合わせて、自分を変える必要はないんだ」と、わたしはとても納得ができました。
もちろん、「少しくらい嫌われてもいいんだ」と思ったからといって、急に堂々とできるわけではありません。
今の職場も、相変わらずの環境です。上司は毎朝イライラしています。
でも、そこで「わたしのせいかも」と思ったときに、「違う、わたしは関係ない」「まだ悩むフェーズじゃない」と意識するようにしています。
それでも、誰かの声が冷たく聞こえたら、「何かしたかな」と考えるし、自分にだけ態度が違うように感じたら、やっぱり落ち込む。
そうした時も、仕事で確認が必要なら、そのことだけを確認する。相手の表情や声だけを見て、頭の中で反省会を始めない。と意識しています。
みんなに好かれながら働くことより、必要な仕事をすること。そして、なるべく穏やかな気持ちで家に帰ること。
すぐには変われなくても、「少しくらい嫌われてもいい」と思う練習を、明日も頑張っていきたいなと思っているのです。


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