疲れて仕事から帰った夜。
夕飯を作るつもりだったけれど、台所に立つ気力は残っていなくて、買ってきたお惣菜をテーブルに並べる。
洗濯物はたたんでいないし、床には髪の毛も落ちている。手帳に書いていた予定も、赤い修正線ばかり。
そんな部屋で一日を終えようとすると、以前のわたしは「今日もちゃんとできなかった」と、自分を責めていました。
わたしは今でも、「ちゃんと暮らしたい」「丁寧な暮らしがしたい」と、割と定期的に思います。
朝は早く起きて、部屋を整えて、栄養のあるごはんを作る。仕事や家事も計画どおりに進めて、夜はゆっくりお風呂に入り、明日の準備まで済ませて眠る。
休みの日も同じ時間に起きて、少し運動をして、カフェで読書をする。
そんな毎日は素敵です。今でも憧れる気持ちはあります。
でも、理想の暮らしを追いかけるほど、できない自分を責める日も増えていきました。
最近になってようやく、わたしに必要なのは「誰かのようにちゃんと暮らすこと」ではなく、「今日の自分が無理なく過ごせること」なのかもしれないと思うようになりました。
「ちゃんとできない日」に自分を責めていた
わたしは手帳を書くのが好きなので、SNSなどでよく他の人の手帳を書いているアカウントを見ます。
そこには綺麗に整った「理想の暮らし」が書いてあります。それを見て、わたしも「こんな暮らしがしたい」と真似をして手帳に書き込むけれど、現実はそんな理想的な暮らしはできない。
そのたびに「またできなかった」と落ち込んでしまうのです。
せっかく手帳に書き込んだのに、修正の赤線だらけ。いざ自分のリアルな予定を書き込むと、スカスカで味気ない。
もっとみんなみたいに素敵な毎日を送りたい。それができない自分って価値がないのかな。人として劣ってるのかな。何が足りないのか。
そんなことを寝る前に考えて、モヤモヤしたり、落ち込んだり。
それが仕事のミスなんかと重なると尚更落ち込む。小さなミスなんだけど、自己否定まで大きくなってしまったり。
自分でもコントロール出来ないことにも、ツラさを感じていました。
今日の自分に合う暮らしを選ぶ
でも最近、わたしの求めている「ご自愛な暮らし」は、そういう理想を追い求めるところにあるのだろうか?と考えるようになりました。
ノートに書きながら、「わたしにとって、ちゃんと暮らすとはどういうことだろう」と何度も考えました。
でも、結局その理想の暮らしはできなくて、落ち込んだり、ネガティブ思考になる日が増える。それってわたしの生活に本当に必要なの?と考えるようになりました。
朝早く起きて、出かけることって幸せなの?
仕事をバリバリ頑張って、出世するのって幸せなの?
ヘトヘトになりながら、自炊を頑張ることって、わたしにとって幸せなの?
そんなことを、ノートに書きながら何回も何回も考えました。
仕事で結果を出す友人や、以前の職場の人の近況。SNSに映る、わたしの理想のような暮らし。
比べて、落ち込んで。またノートに書き出して。
その結果、最近ようやく「人によって幸せな暮らし方が違う」ことを受け入れて、一喜一憂しないメンタルになってきたような気がします。
その中でわたしは、「ちゃんとした暮らし」をすることと、自分の理想の生活にはズレがあると認識できるようになりました。
それは、わたしには「今日の自分が無理なく過ごせる暮らし」の方が必要だということ。
疲れている日は、料理をがんばらない。
お惣菜や冷凍食品に頼る日があってもいい。
お風呂だって、シャワーの日があってもいい。部屋が少し散らかっていても、全部を片づけようとしない。
休みの日はゆっくりできれば、それで十分。
それに気付けたとき、「ああご自愛ってこういうことか」と初めて思えるようになった気がします。
「ちゃんと」を緩めることも、ご自愛
「ちゃんと暮らす」をやめることは、暮らしを雑にすることではない。
むしろ、自分に合わない理想を手放したり改善したりして、今の自分に合う形に整え直すことだと思っています。
完璧に片づいた部屋よりも、まあ誰も困らないし程度に散らかった部屋。
手作りも楽しめる程度に、外食や惣菜も取り入れる。
ゆっくり休む時間を「無駄」だと思わない。
そういうものに憧れる気持ちは確実にある。だからそれを否定する必要はない。
でも、その理想を追いかけることが自分を苦しめているのなら、それは本当に必要な理想ではないかもしれません。
暮らしは、誰かに見せるためのものではなく、自分が毎日を心地よく過ごすためのもの。
だから、見た目の美しさよりも、心がちゃんと落ち着くこと。
完璧にこなすことよりも、疲れた日に休めること。
それを大切にする方が、ずっと自分のための毎日を生きられると思うのです。
髪の毛が落ちていても、眠れるならいい。
夕飯が惣菜でも、お腹が満たされればいい。
予定通りに進まなくても、明日困らないならそれでいい。
ちゃんとできなかった夜にも。
完璧な一日ではなくても、眠る前に「今日もなんとか終えられた」と思えたら、それで十分なのかもしれません。
髪の毛が落ちていても、眠れるならいい。
夕飯がお惣菜でも、お腹が満たされればいい。
予定どおりに進まなくても、明日困らないならそれでいい。
「ちゃんと暮らす」を緩めることは、暮らしを諦めることではありません。
今日の自分に合わせて、少しだけ形を変えること。疲れた日に、ちゃんと休める余白を残しておくこと。
あの日、テーブルに並べたお惣菜も、わたしがその日を無事に終えるために選んだものでした。
これからも理想の暮らしに憧れる日はあると思います。
それでも、うまくできなかった日の自分まで責めずにいられる暮らしを、少しずつ作っていきたいと思っています。
てと
頭の中のモヤモヤを書き出す習慣についても書いています。



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